臨床研究の目的は「臨床で生じた疑問を解決する」ことです。実際の臨床現場は疑問に満ちています。まずは日々の対象者への理学療法や、カンファレンスの中で感じた違和感を膨らませ、疑問に気付くことから始めてみましょう。これはまさに今日から始められる作業です。例えば、同じような症例を同じようにアプローチしているつもりなのに、経過が良好なケースとそうでないケースが存在することは、多くの方が経験されていることだと思います。そのような違いに対して文献を用いて考察することも立派な臨床研究になります。1症例でスタディを進める場合、単に症例の経過を記録したものは「ケースレポート」と呼ばれます(多くの方が養成校時代の臨床実習で書いたものです)。一方で、症例の経過について充分な文献的検討を行ったものや、研究デザインをあてはめて症例の変化と介入の因果関係を検討しているものを「ケーススタディ」といいます 2)。
ここで、臨床研究を始めるきっかけとなったある理学療法士のエピソードを紹介します。
"ある朝病棟を歩いていると、「脳梗塞で入院中のAさんはトイレに1人で行ってもいいですか?」と看護師さんから尋ねられました。その際、トイレ動作自立度を判定する指標は思い浮かばず「もう少し動作が安定するまで見守りをお願いします」と返答するのが精一杯でした。そうは言ったものの、何を根拠にトイレ動作の自立を判断すれば良いのかという疑問は残り、その日の業務終了後に文献を検索してもその答えは見つかりませんでした。そのような背景から臨床研究を開始しました。"
こういった内容は共感できる方も多いのではないでしょうか。臨床経験の浅いうちは文献を読むことや先輩に尋ねることで解決できる疑問も多いですが、そのような経験を積めば積むほど生じる疑問の難易度も向上するため、先行研究の検索だけでは解決できない難題にぶつかります。文献を調べても解決できない疑問に気付けたら、それがまさに臨床研究を始める瞬間です。
文献を調べても解決できない疑問に出会えたら、そこから自分が何を明らかにしたいのかを具体的にしていく必要があります。あなたが行ないたいのは...
① 目の前の対象者に対する介入効果を科学的(客観的)に判定したい!
→単一事例研究(ケーススタディ)
② 疾患や障害に対する大まかな基準値や治療の効果を知りたい!
→複数事例研究
研究背景は単一事例研究でも複数事例研究でも共通して重要な部分です。生じた臨床疑問を言語化し、できれば先行研究を踏まえつつ、自分が何を明らかにしたいのかを明確にしましょう。これが明確になっていないと、その後のデザインも決まりません。データは集めてみたものの、このデータから何を発見したいんだっけ???という事態に陥ります。何を明らかにしたいのかがはっきり決まれば、それこそが「目的」となります。前項で挙げた例では「トイレ動作の自立をどのように判断すればいいのだろう」という臨床疑問を解決するため、動作能力と関連の深いバランス能力に着目しています。その研究では、対象者の「トイレ動作能力」の評価に「Functional Independence Measure(FIM)におけるトイレ動作の得点」を、「バランス能力」の評価には「Functional Balance Scale(FBS)」を用いていました。つまり、トイレ動作のFIM得点とFBSの関係性を明確にすることが目的となっています。目的を明確にし、その後の研究の方向性を定める上で研究計画書を作成することをお勧めします。参考として、上記トイレ動作の自立度判定の研究における計画書を紹介します。研究計画ができたら、対象者に十分に説明し、同意を得る作業も忘れずに行いましょう(倫理的配慮)。
さて、今回は賢くんのテーマに沿って、単一事例研究(ケーススタディ)を取り上げてナビゲーションを進めていきます。
ケーススタディにおける情報収集のポイント
では、具体的にどのような情報を取ればよいのでしょうか。対象については、年齢、性別、診断名、現病歴、既往歴、家族歴、主訴、臨床症状、理学療法初回評価、画像情報、臨床検査値、他部門情報などを可能な範囲で収集しましょう。また、今回の疑問の解決に重要となる評価項目(プライマリーアウトカム)を決定します。対象者への介入効果を知るために、その介入により変化することが予測される機能や能力を反映した評価法を選びましょう。例えばADL能力が変化すると予測するならFIMを、バランス能力が変化すると予測するなら立位保持時間やFBSを、というような具合です。自分の研究と類似した先行研究に習うのもひとつの手です。
なお、全ての評価は尺度水準の観点から4つに分類されます(表1)。名義・順序・間隔・比率尺度の順に水準は高くなります。尺度水準を下げていくことによって量的な情報は失われていきます。効果を検討するのであれば順序尺度以上のScaleで評価することが重要です(表2)。また高い尺度で評価しておけば、それを低い尺度へ変換することが可能なので、環境が許すのであれば高い尺度で評価しておくことをお勧めします。上記の例ではFIMやFBSは順序尺度、立位保持時間をストップウォッチで計測するなら比率尺度となります。
表1 尺度水準 | 特徴と例 |
名義尺度 | 利き手:右、左 性別:男、女 動作:改善、不変 |
順序尺度 | 感覚:正常>鈍麻>脱失 バランス:良い>普通>悪い MMT:5>4>3>2>1 |
間隔尺度 | 温度(℃、K) 絶対的な0が統一されてない。 |
比率(比例)尺度 | 四則演算が可能 ROM:0、5、10° 歩幅:20、25、30cm 体重:1、2、3kg 速度:1、2、3km/h |
表2 対象者 | 比率尺度 | 間隔尺度 | 順序尺度 | 名義尺度 |
A | 23cm | 4cm | 3 | 長い |
B | 24cm | 5cm | 2 | 長い |
C | 19cm | 0cm | 4 | 短い |
D | 26cm | 7cm | 1 | 長い |
実際の歩幅 どの位大きい 順序のみ 分類のみ
ケーススタディのデザインの紹介
ケーススタディにおいて、対象者の変化と介入の因果関係を検討するためのデザインをシングルケースデザインといいます。この方法は「計画的に治療を操作し、系統的に対象者のパフォーマンスを測定・評価する実験的要素を持つ症例研究法」であり3)、現在の介入方法が本当に目の前の対象者の機能改善につながっているのかという疑問の解決に最適なデザインとなっています。このデザインでは一定期間における対象者の反応をシステマティックに反復測定することで、介入と結果の因果関係を検討することができます(図2-A,B)。また、多くの研究では統計学に関する知識も必要となるため、頭を抱えてしまうことが多いですが、単一事例研究では選ぶデザインによっては難解な統計手法は使用せず、目視での結果判定も可能なため理解しやすいことも大きな特徴の一つと言えます。
| 初期評価 | 最終評価 | |
10m歩行速度 | 50m/min | 53m/min | |
歩幅 | 50cm | 52cm | |
図2-A :2回の評価では、改善か計測のばらつきか判断できない場合が多い
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効果を検討したい介入を行う前の期間(ベースライン:A期)と、介入中の期間(介入期:B期)を連続的に図示したものが、図2に示したようなABデザインです。なお、ベースラインでは、結果のばらつきや自然回復の影響を把握するために、少なくとも3回以上測定を繰り返すことが必要です。ベースラインとしての歩行速度の計測をA期で行い、速度向上を目的とした介入をB期に行った結果、図2を見ただけで明らかにA期よりもB期において歩行速度が向上していることが分かります。(目視法)。これだけで、立案した介入が対象者の歩行速度向上に効果的であったと結論づけることができます。過去の報告では、失調を呈する対象者の歩行訓練に際し歩行器を使用したほうが良いかという疑問や、人工股関節置換術後の腸腰筋・多裂筋の選択的訓練が姿勢制御にどのような影響を与えるかという疑問についてもシングルケースデザインにて検討されています4,5)。シングルケースデザインはABデザイン以外にも複数存在するので、是非参考文献を参照してください6,7)。
考察はまず最も重要な内容から、つまり背景となった臨床疑問に、その研究結果がどう答えたかを考えます。また、可能であれば今回のケースと先行研究との結果を比較して、自分の研究で得られた新しい情報が何であるかを考えたりもします。飛躍し過ぎた推論は科学性に欠けてしまいますが、結果について周囲と議論するのも楽しい時間となるかもしれません。